やりたくないことはやらない生き方について

今日はちょっと書き方がいつもとは違う

断片的記述を行うので説明不足な点がいつにも増して多いと思うのでご了承を願いたい

言うならばメモの走り書きだ

 

確かに嫌なことを我慢する必要は無いと思うしそんな生き方を選んでも悔いばかりが残って得られるものなんて何もないと思ってる

 

確かに嫌だ、確かにやりたくない

だけどもそう上手くはいかない

 

だが確かにやりたくもないことを我慢してやっても得られるものなんて大したことがないかどうでもいいことばかりだ

やりたくないことをやらないを徹底すると結局矛盾が生じることにもならないかと懸念する

 

楽をして生きたいけど悪いこともしたくないという矛盾

 

もちろん絶対条件では無いので可能性としては可能ではあるが非常に難しい

そこで妥協すべきかすべきでないかを迫られた時に結局どちらかを選択しなければならなくなることも多い

楽したいなら悪事に手を染めろ

悪事に手を染めるくらいなら楽を捨てる

遠回りこそが理想への最短の道なのかもしれない

 

じゃあ僕の理想とは何か

馬鹿と関わらず理想的な人間とのみ関わり

収入や拘束時間など生活に不自由が少なく理想的な美しい伴侶と暮らし

言いたいことをある程度言えるなら

俺は何の不満も無いよ

 

パッと思うままに書いてみたがどうだろうか

果たしてこの文に嘘偽りは無いのだろうか

本当に俺はこれを心から望んでいるのか

それが理想だと思い込んでいるだけではないか

その証明が僕にはできない

なぜならおそらくだがこの理想は一過性の理想に過ぎないだろうからだ

ほとんどの人間が、全てが一過性の理想に囚われていると私は思う

大して望んでもいないのにさもそれが良い物だと思い込み信じてそれを欲する

本当はそんなに望んでなんていないのにそれが欲しいと錯覚する

CMやプロモーションで洗脳されるかのように

欲望をプロパガンダされているのだとしたら

僕らは皆何かに大きく騙されている

 

つまり思考を支配されている

メディアや周りに思想や欲望を制御されているのだ

そしてその解除は非常に難しい

無意識に洗脳され無意識に自我が汚染されていく

結果どうなるか

造られた幻想の中で現実で悶え苦しみ続けることになる

 

これを地獄と言わずして何と言う?

 

嘘だ、と思うなら思い起こして欲しい

昔はどうだったかと

昔の馬鹿みたいに働かされた労働者達は

アルコール漬けにされていなかったかと

俺の親父も祖父もそうだった

酒が全てみたいな脳になり酒に操られる人生を彼らは送っている

これも立派な洗脳

ひいてはコントロールではないか

なぜ女のいる店に酒が出るのか

アルコールと性欲がなぜ結び付けられるか

そして権力者はこれをなぜ良しとするか

考えれば見えてこないだろうか

陰謀だとかそんなことが言いたいんじゃない

そういう欲望のコントロールをされることで

それに依存させ、働き、金を使う生き方を選ばされている

糖質や油だって同じだ

 

それが分かったところsでじゃあどう生きるんだ

何物にも依存しない

そんな生き方が可能だろうか

そんな人生が果たして幸せだろうか

分からない

依存も幸せなのかもしれない

ただ、依存は少ない方がいいのもまた違いない事実だと私は思う

つまり私がさっき書いた理想の生き方

あの文中で僕はできるだけ省いたものを選択するのが正しい気がしてならない

できるだけ省くなら

 

誰とも関わらず美しい伴侶と暮らし言いたいことを言う

 

もっと省くなら

いや、省けない

これ以上はキツイ

幸福からは逸れてしまう

もう何がなんだか僕には分からない

ただ多分思うのは

 

美しい伴侶と暮らす

 

本心はこれ以外多分どうでもいいことなんだろうなと思う

全部を犠牲にしてでも多分僕はおそらくこれを取りにいくんじゃないか

そういうプロパガンダに僕は支配された個体なんだと思う

あるいは元々かは分からない

ただ一点に集中すべきだと思う

気を散らさないように

思考は1つしか無い方がいい

それ以外考えずに生きろ

それが上手くいく秘訣だ