季節も初夏に近づき暑い日もあればそうでもない日々が織り交ざり体調管理が難しいこの頃だ
相も変わらず私は似たような生活を送っている
この20年なんら変わりないことをずっと繰り返している
そしてそれはこれからも変わらないだろう
漫画家が死ぬまで漫画を描き続けるように
ゲーマーは死ぬまでゲームをやり続ける
そこに金銭の発生があるなしに関わらずだ
僕は多分ゲームしかしないしゲームしかできない
それについてはどうでもいい、悲観も楽観もしない
ただ淡々と事実がそうであるというだけだ
毎日食事を摂るのと同じく僕は日々をゲームをすることに費やしていく
それだけだ、やはりただ事実がそうであるというだけなのだ
その結果だけがそこにある
野球を見て采配にイライラし勝ち負けに関わらずクソだと悪態をついて寝る
そんな日々だ
人生で一番贔屓チームが強いにも関わらずそう思うということは人間の欲望にはキリがないであろうことの証左だと思った
つまりこれは毎日を仕事なんてせずにゲームや野球だけを摂取し続ける生活を仮に手にしたとしても次にまた別の不満点がふつふつと湧き上がるであろうということだ
人間という生き物はどうしようもなく、そしてそういう生き物なのだ
ここ最近1人でゲームをすることが極端に減った
黙々と1人でゲームに向き合うことが激減した
常に誰かと何かを共有していないとゲームができないのだ
これは一体なんなのだろうか
なぜ1人でゲームができないのか
なぜ1人で完結しようとは思わないのか
それがここ20年で最大の変化である
いや、元々そうだったのかもしれない
小学生の頃からずっと僕は誰かとゲームを楽しんでいたかもしれない
10代にゲーム配信に手を付けたのもそういう部分があったからだろう
そして20代になりゲームはオンライン性がより濃くなりどのタイトルでもネット上で対戦が可能な時代へと変化した
そしてそのクオリティは年々良くなっている、もうその流れは止まらない
つまりどういうことかと言うと僕の中でゲームは「誰かと遊ぶもの」へ回帰していったということだ
その基本に立ち戻っていったのだ
誰かと画面を共有し合いそのことに感想を言い合うものに戻ったのだ
今30歳を迎える自分がもう一度その20年前の立ち位置へと帰っていき何を想うのか
学校や習い事が仕事へと変わっただけでそれ以外の時間は何も変わらない
相も変わらず僕は20年経ってゲームしかやらない
多分そしてそれは40代、50代になっても何も変わらないだろう
その頃の僕も変わらずオンラインでゲームをしていると確信が持てる
もちろんすべてにおいて腕前は劣化していても僕はゲームをせずにはいられないだろう
そういう生き物なのだ
それしかない哀れな生き物なのだ
それが僕の人生なのだ
何の生産性も向上もない、ただ誰かとゲームをして老いて死んでいくだけの生き物
それが俺なのだ
そしてそれ以外何もいらない
国が衰退しようと自身の肉体や精神が衰えようと俺はこの生き方しかできないしそれしかしたくない
それでいいし、それでいいさ
それで表現してみせよう、何かを
底辺のまま生きて底辺のまま死のう
俺はもうそれで十二分にいい
きっとそれが幸せなんだろう