ピカソがやる気なく描いた絵は凡人が本気で準備し死ぬ気で描いた絵に劣る

この世で人間として生きていれば嫌というほど能力差や才能差で溢れている

あるいは運の良い悪いもそうだ

 

だが思うに最終的な結果はどうなるか分からない

一時的に良くてもその後は…なんてケースは少なくない

長く生きてれば散々にそんなのは目にしてきた

最初はそこそこだったが頭打ちになって伸びなくなりむしろ下手になった奴

最初から凄かったが周りに追い付かれた奴

最初は弱かったが徐々に力をつけた奴

色々いた

正直に言う、俺はどの分野や業界でも(肉体的にキツイのは無理)トップクラスになれる自信がある

そして無論どの分野においても俺に才能は微塵もない

どこにでもいる「見込みなし」の烏合の衆、それが俺だ

じゃあなぜ俺は伸びるのか?

同じようにやってる他の人間は伸びずなぜ俺だけが伸びるか

それはやる気の問題である

ひたすらに数をこなしトライ&エラー

練習と実践の繰り返し

練習でできないことは実践では絶対にできない

自分の周りの人間はとにかく「練習」というのを嫌がった

そういう奴らは結局強くなれず次第に自分に完封されるようになっていった

それが全てだとは思わないができない奴はできるようになるのが結果を出す最短の道だと思う

その練習ができるかどうかは別にして

 

だから上っ面の才能にそこまで意味はなくどれだけ地味で退屈な練習ができるかに全てが懸かっている

ただ闇雲に何も改善せず継続してるだけの脳死してる奴らなんざどの界隈にも履いて捨てるほどいる

あいつらはどうしようもない馬鹿だ

俺はそういう人間とは絶対に関わりを持ちたくない

なぜならそういう連中ほど「強いこだわりを持ち他者のアドバイスや指摘を受け付けない」傾向にあるからだ

要は救いようのない連中なのである

つまりどういうことかと言えば

結果を出してもいないド三流以下のゴミの分際でプライドだけはクソ高い人間

 

こだわりがあるのはいい、結果を出してないのもいい、プライドがあるのも大事だ

だが他者の意見に耳を貸せない謙虚さがない人間はゴミだ

当然だがそういう人間で伸びてる奴を俺は今まで見たことが無い

そしてそういう人間はコネ持ちでも無ければ社会でも成功してない

なぜならそういう人間ほど「いや、俺別に結果出せなくてもいいし」なんてのを平気で嘯くからだ

勝負事、結果が数字に出て目に見える物で結果を出したくない人間が果たしてどれだけいると言うのか

仮に10000000憶歩譲って本当に結果を求めていないとして

じゃあなんでやってるのと言うことになってしまう

ピアノを弾いてる人間が「俺、猫踏んじゃったしか弾けないし弾かないけどそれでいい」と言いながら毎日弾いてたらどう思うか

そんな人間と関わりたいだろうか

もはやそんな人間は絶対に成長しない

伸びる可能性は確実に0である

楽な方楽な方へと流れ「やってりゃ上手くなるだろ」と内心本気で思い込んでる馬鹿なのだ

そしてそれを周りから指摘されれば「結果を出せなくてもいい!」とその場しのぎの嘘で誤魔化し嫌なことに蓋をして逃げる

そんな奴らを腐るほど見てきた

「別にプロになる訳じゃないし」「上手くなってなんか意味あんの?」「こんなの本気でやってるなんてそっちのほうが馬鹿じゃね?」「プロはそれをやってても俺はプロじゃないし」

その癖負けが続いて結果を出せないとすぐウジウジウジウジと悩んでるのである

そりゃそうだ

周りはどんどん上手くなってるのにそいつだけ上手くなってないのだから勝てなくなるのは当たり前

結果楽しくなくなりやる頻度が減る→ますます勝てなくなる→さらに減る→辞める

 

そんな奴らを俺はたくさん見てきた

趣味でも仕事でも何でもそうだがハッキリと一つ言えるのは

 

結果を出せない物事に、成長しないことに楽しいことなんて何一つない

 

成長しないこと、結果を出せないことに「疑問」を抱けない時点で駄目なのだ

そして「なぜ俺は結果を出せないのだろう?」と常に考えやり方を試行錯誤し難しいこと苦手なことも試し経験を積む

まぁ一番効率が良いのは出来る人間のやってることや動きをパクること

俺もそうやってきたしそれが一番理にかなってる

なぜそれがそうなるのかの理論は考えなくていいが理論値は出せなくてはいけない

諦めずひたすらやっていけばいつか結果は出る

そして経験上大体その傾向は3年以内に出る

3年やれば今よりも必ずトップクラスに近づける

大概の者は3年継続できてもダラダラとした楽な3年だから何も結果を残せないけど