虚無に浸りその虚無さえ虚無に感じる
これが何とも言えない安心感を僕の心に生み出してくれた
人生が上手くいかなくても結局全部虚しいのだと吐き捨てる思想は敗者にとってはあるいは救いだったのかもしれない
あるいは単にそれが真実だったか
もしくは本当にただ虚しかったのか
今となってはハマるきっかけになった時期の自分の心境など測れない
そしてそれを確かめる術もなく、確かめる必要もそもそもない
問題は超人思想の方だ
これはなんとも言い難い
「人間を越えた人間でない人間」
これをどう捉えろというのか
今まで散々歴史は繰り返してきた
新人類、悟り世代、ゆとり世代
これらだって今までにいなかった人間だ
だが超人ではない
では超人とはなんなのか、これが分からない
人間関係の軋轢におびえ、受動的に他者と画一的な行動をする現代の一般大衆を「畜群」と罵った。その上で、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いた。
「己の価値観こそが全て」
他者に流されることなく自分の価値観の中で生きていくのが超人だと
それがなぜ超人なのか
なにがすごいのか、どう素晴らしいのか
何をもって利点があるのか
それさえ全部放棄して生きることができるからこそ超人なのか
つまり破滅願望
人生が無意味だから自分の思うままに生きて破滅しようぜという思想
それが超人思想と解釈していい
100歩譲って別に破滅するのは構わんさ
ただ破滅する意味を
ただただ犬死するその意味を
財布の中身を自らドブに捨てるその意味を
うつ病患者の自傷行為と何ら変わらないその行為をなぜ「超人思想」なんて言葉で現すのか
虚しい、この世に、人生に意味が無い、だから無気力で低コスト低燃費のままダラダラと過ごすニヒリズムと対照的に
虚しい、人生に意味は無い、だから自分の我をどこまでも貫いて破滅し堕ちようぜという全力で下に向かって突っ走る超人思想
だがニヒリズムを唱えた人物が同時に超人思想を唱えているのだ
どちらも地獄なのだ
同じ地獄なら苦しむほうが良いのだろうか
例え辛くともなにもなく過ごすより血反吐を出しながら生きるほうがマシなのか
その選択の権利さえ僕は奪われてしまった感覚に陥る
自分の我とはなんなのか
そもそもにそれが分からない
どう生きたって僕の我なんて誰にも受け入れられないまま終わる
そんなのはもう分かり切ってるのだ、痛いほど
それでも貫くのは構わない
向こう10年、50年と今のまま貫いたとして
それが一体何になるというのだろうか
大昔の仮面ライダー好きの奴がいたとして
超人思想的にずっと昭和ライダーを信望し一人でそれを現代でも続けてる奴がいたとしよう
果たしてそれが一体何になるのか
その超人はずっと一人虚しい世界に閉じているだけじゃないのか
俺にそのような生き方をしろというのか
報われない人生を苦みつぶしながら
無味を生きるくらいなら苦味を生きるべきなのか
その判断を僕は迫られている
畜群か超人か
究極の二択である
無味か苦味か
どちらも地獄だ
でももう答えは出ている気がする
僕はきっと苦味を選ぶ